法楽寺わらく読書会「第136回の学び」
7月10日、第136回『法楽寺わらく読書会』を、恒例の「法楽寺くすのき文庫」にて無事開催いたしました。今回は『修身教授録』第1部第19講「松陰先生の片鱗」を取り上げ、冥界からのご参加者(故人の志を偲びつつ)を含む10名で輪読し、深い学びと感想を分かち合いました。
「国民教育の師父」と謳われた哲学者・教育者の森信三先生は、幕末の松下村塾で多くの志士を育てた吉田松陰先生を、「日本の教育者の最高峰」として仰いでいました。
本講の冒頭に置かれた二行は、そんな松陰先生がいよいよ登場することを告げる導線です。
それは今から、教育者としての生き方や心理に深く切り込むぞという「予告」であり、全員が真理を探究する道場のような熱い空間を創り出す「場づくり」であり、さらに松陰先生の魂をこの教室で受け継ぐという、時空を超えた「継承の儀式」でもあります。
松陰先生が単なる知識の伝達にとどまらず、実際の行動を通して日本を変える変革者たちを短期間で輩出したことは、まさに『知行合一』の体現者そのものです。

第19講は『松陰先生の片鱗』と題されています。
あえて「片鱗」という謙遜的で控えめな言葉を選ばれているところに、かえって松陰先生の偉大さが際立って伝わってきます。
「雲隠る 龍の片鱗 掴み得て 森の心に 師の火が灯る」
歌における「森」は森信三先生を、「師」は吉田松陰先生をそれぞれ指しています。
「片鱗」とは、偉大な人物の行動や才能の、ほんの一端を意味する言葉です。
森信三先生は、吉田松陰先生の教育者としての在り方に触れ、その「片鱗」を垣間見られたのではないでしょうか。
それは、雲に隠れた巨大な龍の鋭い目が、一瞬だけ姿を現したのを目にしたような感覚だったのではないかと思われます。
私たちとは次元の違う、恐ろしくも美しい本質。
龍の目とは、本物の教育者の凄みそのものです。
そしてここでの「片鱗」とは、偉人の輝かしい功績や思想そのものではありません。
教育者として門下生や生徒とどう向き合い、どのような「姿勢」で接したのか、その根底にある「在り方」を指しています。
本文では、このような「姿勢」について「今日は、ほんの一、二の点についてお話ししたい」と述べられていますが、ここではさらに深く掘り下げ、次の三つの点として読み解きたいと思います。
一点目は、『優しさ』です。
松陰先生はいかなる者にも穏やかに優しく、かつ丁寧でありました。
その優しさの質は、「乙女も恥じらうほど」「乙女も面映ゆいくらい」と称されています。
松陰先生の優しさは、単なる性格的なものではありません。
では、なぜこれほどまでに優しかったのでしょうか。
それは、いかなる人間であれ、その心の奥底に一箇の『天真』を宿していると、深く信じておられたからにほかなりません。
『天真』とは、無限の可能性を秘めた神の命です。
「人は神の子、仏の子」と言われますが、多くの人は神や仏が「自分の外(相対)」にあると思いがちです。
しかし実際は、それらは「自分の内(絶対)」に存在しているのです。
だからこそ松陰先生は、誰もが持っている『天真』を畏敬し、その眠れる『天真』を引き出そうとして優しく接したのです。
言い換えるならば、森信三先生の言葉「天からの封書を開けよ」における「封書」の中身こそが『天真』に当たります。
また、マザー・テレサがなぜ、あんなにも汚く恐ろしい姿をした乞食を、優しく抱きかかえたのは、その姿の中にイエス・キリストを見ていたからでした。
「まだ見ぬを 信じて包む 卵には 『天真』という 雛(神)の眠れる」
禅語に「啐啄同時(そったくどうじ)」という言葉がありますが、松陰先生の優しさは、まさに親鳥が卵を優しく抱き温め、雛(天真)が絶妙なタイミングで孵化する様子と重なります。
1857年の松下村塾の開塾から、わずか約一〜二年間という短い期間に、それぞれ異なる数多くの偉人を輩出した奇跡。
それは、松陰先生が「どんな人の中にも神(天真)が存在する」と、一分の隙もなく信じ切っていたからに他なりません。
二点目、『師弟同行』の姿勢です。
松陰先生は、常に門弟の人々を「共に道を歩む者」として扱われました。
優れた指導者は、決して生徒を見下したり上から抑えつけたりせず、同じ道を歩む「求道者」として対等に接するものです。
空海の言葉に『同行二人』がありますが、人間は孤立した個体(相対)ではなく、大いなる精神や他者と最初から一つであり、常に響き合っている(絶対・調和・融合)存在です。
空海にとっての「お大師様」、松陰先生にとっての「志」は、表現こそ違えど、人間を絶対的な調和へと導く同じ光だと言えます。
このような対話型の教育は、現代のハーバード大学で白熱教室を展開するマイケル・サンデル教授や、稲盛和夫先生の「車座」の思想にも通じるものです。
対話型の環境は、生徒の自主性・自律性・思考力を育むために極めて有効ですが、それを「命がけの実践」へと直結させた吉田松陰先生の『知行合一』の姿勢は、まさに教育の到達点であると言わざるを得ません。
三点目は、『至剛而至柔(至剛にして至柔)』の姿勢です。
この言葉の由来は『易経』に記されており、老子思想の根幹にも通じます。
「坤(こん)は至柔にして動けば剛なり」とあるように、普段はすべてを受け入れるほど圧倒的に優しくしなやかでありながら、いざ行動するときは誰にも止められないほど力強く、決断力に満ちている状態を意味します。
宮本武蔵の『五輪書』水之巻にある「有構無構(構えありて構えなし)」は、この『至剛而至柔』という究極の柔軟性を、武術の視点から具現化した極意です。
また、人気アニメ『ワンピース』の主人公ルフィが持つゴム人間の圧倒的な強さも、まさにこの「至柔」の体現と言えるでしょう。
『至剛而至柔』を分かりやすく言えば、「最強の剛さと、最強の柔らかさ(優しさ)をあわせ持つこと」です。
では、吉田松陰先生における「剛さ」とは何だったのでしょうか。
それこそが、国を想う一筋の心であり、決して揺るがない「志」であり、そのためには死をも辞さないという、不退転の覚悟そのものだったのです。
以上、教育の巨人たる松陰先生の門弟に向かう姿勢として、『優しさ』『師弟同行』『至剛而至柔』の三つの要諦を述べさせていただきました。
第19項「松陰先生の片鱗」の金言は『天真』です。
最後に、この『天真』を象徴する、ある尊い詩をご紹介いたします。
20年前、石川県七尾市のお客様のお父さまである水上昌三様より教えていただいた詩です。
一度しかお会いする機会はございませんでしたが、私は心より水上様を敬仰(けいぎょう)しておりました。
その水上様も、昨年、享年百歳にて瑞祥の地へと旅立たれました。
「わたつみの千尋の底に金や銀や瑠璃の鏤(ちりば)めし洞窟あり 太陽も月光も訪れず」
この詩には、
「あなたの千尋の底(心の奥深く)には、今この瞬間も、決して誰にも侵されない金銀瑠璃の『天真』が眠っています。外の光(他人の評価)を追い求めるのをやめ、自分自身の内なる封書を開きなさい」
という深い教えが込められています。
以上が、本講に対する私なりの要約と感想です。
続いて、この教えを受けて読書会に参加された皆様から寄せられた感想をご紹介いたします。

「『松陰先生の片鱗』の項では、松陰先生のお人柄と森信三先生の深い思いやりが語られています。何かを伝える時、力づくで相手を変えようとするのは逆効果です。寓話『北風と太陽』や、『史記』の『桃李言わざれども、下自ら蹊を成す』という故事の通り、力でねじ伏せるのではなく、温かい心や徳の香りに惹かれてこそ自然と人は集まります。松陰先生も強要することなく、人々が『またお話を聞きたい』と自然に集まる魅力にあふれた方でした。私が一番心に響くのは、鈴木民二先生の『やさしくやさしく出会うすべてをあたたかく迎え、やわらかく包む』という言葉です。これは人との接し方の極意だと思います。私自身、教師時代に朝練へ遅刻を繰り返す生徒に怒ってしまったことがありました。『自分で早く起きて卓球がしたい』という生徒の自発的な思いを導き出せなかったのは、今でも私の未熟さゆえの反省点です。とにかく大切なのは『優しさ』と『言葉の丁寧さ』です。森先生の徹頭徹尾丁寧な言葉遣いは、日常のあり方そのものであったのだと感じ入りました。」
「松陰先生には熱狂的なファンが多く、これまでに『松陰の生まれ変わりだ』という方に3人ほどお会いしたことがあります。それほど深く尊敬される真の偉人なのだと改めて感じます。本書で特に心に残ったのは、131ページの『優れた師匠は常に門弟と共に道を歩んでいく』という言葉です。上から目線や自慢話になってしまうのは、無意識のうちに心の中に驕りがあるからではないでしょうか。実は今、大学一回生の姪が我が家に居候しています。つい高圧的に怒ってしまったと反省し、同じ血を引く者同士『私も気をつけるから、一緒に直していこう』と言葉を掛け直しました。思いが強い身近な相手だからこそ、日頃の言葉遣いは深く気をつけたいと痛感しています。また、132ページの『偉くなるほど自分の愚かさに気付き、他人の真価が分かってくる』という部分も『実るほど頭を垂れる稲穂かな』の諺通りで、素晴らしい人ほど自らの至らない点に自覚的なのだと思います。最後の森先生の言葉からも、主体的に生きることこそが命の本質なのだという熱い想いが凝縮されていると感じました。」
「吉田松陰先生の松下村塾や松陰神社は、私の故郷である山口市からバスで3、40分ほどの距離にあり、これまでに何度も足を運んだことがあります。あの非常に手狭な場所から、明治維新の土台を築き上げた伊藤博文をはじめとする、あれほど颯爽たる人材が次々と輩出されたことには、今考えても改めて凄みを感じずにはいられません。実は、進学した北九州の大学の入学式で、高校時代には一言も話したことがなかった同級生と偶然の再会を果たしました。お互いに一浪だったことで一気に意気投合し、名前の響きが似ていて出席番号も連番だった彼とは、その後5年間にわたり深く付き合う仲となりました。そして驚いたことに、彼の生家は松陰神社のすぐ真裏にあり、学生時代には何度も萩の街へ遊びに行きました。萩は本当に素晴らしいところです。黒船来航によって国中がてんやわんやの大騒ぎとなる中、松陰先生は自ら黒船に乗り込もうと行動しました。のちに若くして処刑されてしまいますが、あの過酷な時代背景の中で、凄まじい青春と熱い信念を貫き通したその熱烈な生き方には、今も深く心を揺さぶられます。」
「私はこれまで松下村塾を2回訪れました。現地でボランティアの方から詳しい話を伺い、歴史館のリアルな展示に触れることで、吉田松陰先生の生き様やその片鱗に一歩近づくことができたと感じています。松陰先生は、小さな八畳と十畳の部屋でそれぞれの長所を見事に引き出した教育者でした。驚くべきは、過酷な牢獄に入れられても決して自暴自棄にならず、わずか1年の間に600冊もの本を読破されたことです。さらに同囚の政治家たちだけでなく、牢番の心にまで火をつけてしまった強い感化力と、逆境さえも自身の学びに変える姿勢には流石の一言に尽きます。元々は下級武士でありながら、学ぶことを心から愛されていたのだと深く感服いたしました。現在、私は『光のしずく』の『歴史に学ぶ和の講座』で『森信三シリーズ』を3年目担当しています。自ら探究を深める中で、松陰先生の凄さがより深く分かってきました。森先生が着目された『21人の物語伝記シリーズ』を今一度読み直すと、改めてその味わい深さを噛み締めます。この先人の歴史から学ぶことで、私自身も大きな影響を受け、効果的な学びを得ることができました。」
「私は山口県を訪れたことがなく、吉田松陰先生については詳しく知りませんでした。しかし、森信三先生が授業で熱心に引き合いに出されていたことから、松陰先生を深く尊敬されていたことがよく伝わってきます。本章を読み、お二人の先生の共通点は、門下生や生徒に対して決して強制せず、自主性を重んじて自発的な学びを促す姿勢にあると感じました。また、生徒を『自分の後ろに続く存在』としてではなく、『共に同じ道を歩む仲間』として尊重し、優しく温かく接しておられたことが深く理解できました。私自身も、森信三先生の教えを学ぶだけでなく、常に自分自身の生き方を振り返り、検証しながら歩んでいきたいと決意を新たにいたしました。」
「森信三先生は冒頭で『松陰先生については素人ですが、ぜひ一、二お伝えしたいことがある』と前置きし、その中心として松陰先生が『実に優しい方であった』と述べられています。世間的には『厳しい人』というイメージがあるかもしれませんが、森先生は『厳しいというより優しい人。そこからきりりと尊敬される人物になり、学びを行動に繋げてほしい』と願われていたのだと思います。その優しさが最も顕著に表れているのが、133ページの謹慎中のエピソードです。わずか三畳の室にいながら、机の上に砂糖の小皿を置いて遊びにくる女の子たちを招き、砂糖を一つまみずつ与えては色々な話をされたといいます。不自由な身でありながら、子供たちを呼び寄せて教え諭す行動をされていたのです。森先生は『一、二の点についてお話ししたい』と仰いましたが、この章全体を通しては、主に『優しい』という一点のみが語られているように私には読めました。そこで『二つ目のお話は何だったのだろうか』という点が少し気になっております。皆様はこの章を読んでどのように感じられましたでしょうか。後ほど是非お聞かせください。」
以上、参加者の皆様からの貴重な気づきです。
「棚機(たなばた)の 明くる朝(あした)に ひびきくる 初蝉の声 夏のしらべか」
七夕の夜が明けた、七月八日の朝六時半。
気功体操の清らかな曲が始まった途端、今年初めての蝉しぐれが、法楽寺近くの桃ヶ池公園に響き渡りました。
まるで、夏のオーケストラが一斉に開演を告げたかのようです。
折しも天気予報は、この日の梅雨明けを報じていました。
世界は毎日、確かに微細な変化を遂げています。
今朝の力強い蝉の声は、本格的な夏の到来を私たちに告げているようでした。
毎朝の体操の場であるこの公園は、四季の移ろいを五感で実感させてくれます。
心洗われる素晴らしい場を与えてくれる桃ヶ池公園に、心からの感謝を捧げます。
この一期一会の学びを胸に、一日一日を大切に、丁寧に重ねてまいりたいと思います。
書記:土屋章
次回開催は、以下の通りです。
開催日時:8/11(火)13〜16時
(8/11は祝日・山の日です)
集合場所:JR立花駅・改札口
集合時間:13:00
お墓参り:13:00〜14:00
常春寺
読書会 :14:00〜16:00
実践人の家
内容:「修身教授録」第1部・第20講「雑話」輪読会 「森信三先生全一学ノート(新版)」ミニ輪読会
参加費:1,000円
※初めてご参加頂く方は、準備がございますので、前日までに下記にお名前、ご連絡先をお知らせ下さい。
メール:mai@wadentou.com TEL:090-4975-4000
お問合せ・お申込みはクリック

