森信三先生の修身教授録を輪読する法楽寺わらく読書会を開催
10月21日の第92回『法楽寺わらく読書会』は、前回同様、いつも終了後の懇親会でお世話になっている、珈琲専科りあんにて行いました。
『修身教授録』の第2部・第15講『一時一事』を5名で輪読し、感想を共有しました。
人間というものは、なるべく一時に二つ以上のことを考えたり、あるいは仕事をしないように、ということです。
すなわち、ある一時期には、その時どうしてもなさなければならぬ唯一の事柄に向かって、全力を集中し、それに没頭するがよいということです。
それは自分が現在なさなければならぬと分かった事をするために、それ以外の一切の事は、一時思い切ってふり捨てるということです。
すべて物事も自分の気持ちの白熱している間に、一気呵成に仕上げることが、事を成就させるに当たって大切な秘訣と言ってよいでしょう。
すべて敵と争う場合には、迷った方が負けになるのです。
そこで諸君らは、現在は、武道や競技などにおいて、この「一時一事」の修練をしているわけですが、その呼吸をさらに日常生活上の、あらゆる事柄において生かさなければならぬと思うのです。
このような森信三先生の言葉に対して、
「ダラダラと生きていては、なにもすることができない。優先順位を決めて、何事かをやり遂げることは、人生そのものであると感じた。」
「どうしてもあれこれとやってしまうところがあり、一時一事という言葉は心に響いた。寺田一清先生の教えで、速攻に着手することは心がけている。」
「この講を読みながら、プロ野球の清原和博選手は、優れた投手と対戦する時、自然と他の事を忘れて向き合うという話を思い出した。」
などといった意見が出されていました。
続いて、全一学ノートⅧ章『人倫的自覚と実践』のうち、「仁愛の徳」「義の倫理」「徳の主体性と創造性」のミニ輪読会を行いました。
われわれ人間は、他のいかなる美称よりも「愛の人」と呼ばれることは、けだし人間としての最上の讃辞といえよう。
それゆえ、人は如何にして「愛の人」「暖かい人」たり得るかということは、ある意味では、われわれ人間的実存に課せられた最大の課題と言ってもよいであろう。
我われ人間にとってはこの人生を生きるということは、何よりもまず各自が天より賦与せられたその生命の無限の可能性を発揮し実現することの謂いに他ならぬが故である。
次回開催は、以下の通りです。
●日時:令和4年11月24日(金)13:00〜15:00
●場所:法楽寺くすのき文庫
●内容:「修身教授録」第2部・第16講「良寛戒語」輪読会
「森信三先生全一学ノート(新版)」ミニ輪読会
●参加費:1.000円
《ご予約・お問合せ》
メール:mai@wadentou.com
℡:090-4975-4000(後藤)
※ただし、コロナ感染状況に応じて、オンライン開催します。