第69回法楽寺わらく読書会開催

11月27日の第69回『法楽寺わらく読書会』は、
いつもの会場である法楽寺くすのき文庫で行いました。
『修身教授録』の第1部・第32講『目下の人に対する心得』を、
6名で輪読し、感想を共有しました。
人間はその本質としては、
もともと仏性とか神性を具えている故、
みな平等なわけですが、現実の社会生活という面からは、
そこにいろいろな上下左右の対人関係ができてきます。
そこで今日はそのうち「目下の人に対する心得」という問題について話してみたいと思います。
これを一口で申せば、結局「思いやり」とか「労る」という一語に尽きましょう。
つまり「仁」という一事に帰するわけてす。
ところがこの思いやりの心というものは、
人間の本性として、元来何人にも具わっているはずですが、
しかしそれをおおうているものがありますから
努力してそれを取り除かねばならぬのです。
すなわち、敬愛の二字につづまると言えるわけです。
ところが、かように自分の経験の意味を反省して、それを他人の上に推し及ぼすということは、
結局は教えというものによらねば、十分にはできがたいとも言えるのであります。
ここで注意を要することは、心の中で深く同情していても、
言葉の上にそれを表すのは、控え目にする方がよかろうと思うのです。
常に私情の混入しないように慎むということは、大切な事柄だと思います。
尚、目下の人に対する心得の一つとして、
言葉遣いをぞんざいにしないようにということでしょう。
人間の人柄というものは、その人が目下の人に対する場合の態度、とくにその言葉遣いによって分かるものであります。
このような森信三先生の言葉に対して、
「元教師としては耳の痛い話である。投網のたとえによる人間の平等の説明は分かりやすかった」
「上下なく対等に接するという考え方は、鍵山秀三郎先生と共通している」
「目上、目下にこだわるのではなく、まごころで人に接することが重要である。目上の人にもおかしいことはおかしいと伝える姿勢も大切である」
「目下の人への態度を分かりやすく説明して頂いている。仁は磨きだすことが大切だという考え方は、実践の中から生まれたものだと感じた」
といった意見が出されていました。
輪読後のミニ講話は、元清風高校教諭の重藤悦男先生による
「高野山100㎞歩行行事で学んだこと」でした。
 昭和59年3月の第1回から、令和2年の第37回がコロナで中止となるまで続いたこの行事は、
天王寺区の清風学園から、和歌山県の高野山奥の院までの約100㎞を、30数時間かけて徒歩で向かうという過酷な行事です。
重藤先生は、その間責任者として、またサポート役として、様々な形でこの行事に関わってこられました。
 夜を徹して山道を歩いた後、空が白み始めた頃、ゴールまであと10数キロに迫る中で、強烈な眠気と疲労感という最後の難関がやってきます。そんな中、参加者に三つの応援が現れます。それは、太陽の光、あたたかい食事、そして、スタートから苦労を共にしてきた仲間です。
 また、この行事は終始同行二人の巡礼であり、弘法大師が常に側にいてくださるということです。
アフターの交流会は、いつもの喫茶『りあん』で、素敵な⭐️マスターの入れてくれた薫り高いコーヒーを頂きながら行いました^_^
                                         記録:高嶋
次回開催は、以下の通りです。
日時:令和2年12月18日もしくは25日(金)13:00〜15:00
場所:未定
内容:「修身教授録」第1部・第33講「ペスタロッチー断片」
輪読会
  参加費:1.000円