森信三氏の教え「修身教授録」第109回『法楽寺わらく読書会』開催模様@大阪市
3月8日の第109回『法楽寺わらく読書会』は、いつもの法楽寺くすのき文庫にて行うことができました。
『修身教授録』の第2部・第31講『真面目』を
8名(冥界よりご参加の方々を含む)で輪読し、感想を共有しました。
今この真面目という字を、真という字の次に、「の」の字を一つ加えてみたらどんなものでしょう。
そうしますと、言うまでもなく、「真の面目」と読まねばならぬことになります。
そもそもわれわれは、自分の真の面目を発揮しようとしたら、何よりもまず全力的な生活に入らなければなりません。すなわち、力の全充実でなくてはならぬということです。
すなわち常に自己の力のありったけを出して、もうひと伸し、もうひと伸しと努力を積み上げていくんです。そこで真面目とは、その努力において、常に
「百二十点主義」に立つということです。
もしこの態度を確立したならば、人生の面目は、すっかり変わって来るでしょう。
いつも先方の要求や予想より、二、三割方余分の努力をするつもりでいると、第一気持ちが清々しくなるのです。
そこで、真面目な生活に入るに当たって大事なことは、力の多少が問題ではなくて、根本の決心覚悟が問題です。
真の修養とは、何よりもまず人間が、
内面的に強くなることです。他の一切のことは、すべてそれからのことです。
このような森信三先生の言葉に対して、
「かつての清風学園理事長平岡宕峯師の、『核心に触れるまで努力せよ』という言葉を思い浮かべた。そして真面目の権化とは、ギブアンドギブアンドモアギブ、見返りを求めず与え合うことであると考える。」
「全集中することの素晴らしさ、どうせやるなら楽しみながら精一杯取り組むことの大切さを感じた。普段子どもたちと接していても、真面目に何かを与えると、見返りを求めずとも何かが返ってくる循環が生まれるように思う。」
「作家の早坂暁氏が、禅の言葉として、真面目(しんめんもく)という話をされていたことを思い浮かべた。私も経験上、人間はまだまだできると思えば、できるものだと思う。ただ、時間の制約があるので、優先順位が大切である。」
などといった意見が出されていました。
続いて、全一学ノートⅤ章『生命の創造』のうち、「第二の創造」「物質文明と精神文化」のミニ輪読会を行いました。
われわれ人類の歴史的努力は、そのような大自然の創造作用の所産の上に立ちつつ、
それらを踏まえて、そこに第二の創造的世界を現成しつつあることを観ぜざるをえないのである。
いわゆる精神文化は、背後にそれを支える個人主体が予想せられねばならぬ。
それが宗教や道徳の世界ともなれば、すべての人間がこれを支える責任主体とならねばならぬわけである。
今後我われ人類の努力は、これまで以上に精神文化へ向けられねばならぬと考える。
また今回も、法楽寺前住職の小松庸祐上院がお越し下さり、平家物語に記された法楽寺創建の由来について教えて下さいました。
また、その由来に基づく開基平重盛と陸奥の玉山金山との関わりによって、陸前高田市気仙町から日本遺産玉山金山の大岩が贈られたことも教えて頂きました。
今回も、感謝に満ちた心豊かな時間を過ごすことができました。
次回開催は、以下の通りです。
日時:令和6年4月12日(金)14:30〜16:30
場所:法楽寺くすのき文庫
内容:「修身教授録」第2部・第32講「教育と礼」輪読会
「森信三先生全一学ノート(新版)」ミニ輪読会
参加費:1.000円
※初めてご参加頂く方は、準備がございますので、前日までに下記にお名前、ご連絡先をお知らせ下さい。
《ご予約・お問合せ》
メール:mai@wadentou.com
寄稿:高嶋宣雄